皆様、こんにちは!
出張ライターのダイゴです。
普段はしがないサラリーマンをしているのですが、フリースタイルバスケのイベントMCとかをたまに任せてもらっていることもあり、
今回はフリースタイルオシャベラーとして、こちらのマガジンに寄稿をさせていただく運びとなりました。
そんな私が任されたテーマは「しゃべり」です。
いやはや、なんとも、難しいテーマ。
イベントのMCを任せていただく機会もあり、ステージに1人、マイクを握ってしゃべくり倒すこともある私ではありますが、なんせ根っこは引っ込み思案。
頭の回転も早い方ではないので、「しゃべり」は苦手です。
いわゆるコミュ障ってやつ。
人と会話をするたびに、なんとなく言葉に詰まってしまう。
自分が好きな話題の時だけは饒舌で、その範囲を超えた時には急に挙動不審になる。
初対面の相手と3分間話すだけなら勢いで誤魔化せるけど、それ以降は言葉が出てこない。
おもしろくない奴と思われたくなくて頑張ってみるけど空回り。
お酒に頼る。
こんな感じです。
コミュ障ムーヴをかました日には、ベッドで悶え、枕を殴ってます。
悔しいんですよね。
そんな私が、なぜ「しゃべり」を語るのか。
それは、もう、私が「しゃべれるようになりたいから」ですね。
苦手を克服しようとするとき、その苦手と向き合った経験が、初めて手段として言語化されるんですよね。
コミュニケーションが元から得意な人は、コミュニケーションのコツを語ることはできないでしょうって。
と、いうことで
「しゃべり」を主軸に私が思うところをつらつらと書くことによって、コミュニケーションが得意な人にも、苦手なひとにも、人間関係やステージでの振る舞い、居酒屋でのパフォーマンスなど、何かしらの気づきに繋がってくれたら嬉しいです。

◆さて、語りましょう
そんなこんなで「しゃべり」をテーマに連載を任されましたが、初回は何を語るのが相応しいのか。
迷いましたが、まずは前提を整理したいので、
『「しゃべり」ってなに?』
『なぜ「しゃべり」は難しいのか』
このあたりを整理しておきましょうか。
◆『「しゃべり」ってなに?』
そもそも「しゃべり」とは、私たちにとって、”何”なんでしょう。
“コミュニケーションツールの一つ”というのが結論なのですが、
これを考えるにあたって、”人間”とか、”存在”にまで想いを馳せる必要があると思っているんですよね。
ここからちょっと、遠回りします。遠回りが嫌いな方は読み飛ばしてください笑
初回が1番うざい予定です。
さて、
そもそも人って、一人で生きられると思いますか?
はじまりました
コミュニケーション苦手なのが一発でバレる導入
面倒くさいやつ
さようなら〜
笑
まあ、聞いてください。いや、読んでください。
いや、寂しいとか、社会構造とか、一匹狼とか、そういう話ではなくて。
まあ、ゆくゆくそういう話でもあるんですけど、まずはそういう話ではなくて。
世界に”自分”という物質しか存在しないとき、それは存在していると言えるのか…
みたいな話です。
要は、他者から認識されて初めて、その存在は確立するという論法です。
例えば、ニュートンが重力を発見するまで、世界に重力は存在していたのか。みたいな。
認識されない現象は存在を認められません。
無知の無知。知らないものは存在しない。
“存在”そのものが、その物質や現象以外の何か、他者によって認識されて存在するのであれば、
世界に一人きりの人間は、存在していることにはならないんです。
人も、自分以外の何かから観測されて初めて”自分”になるわけです。
自我ですら、他を意識しなければ、自我たりえないですから。
何が言いたいかと、
人は、その存在の有無を、他人に依存するしかない。
ということです。
人間は生まれながらにして、相対的であることが決定づけられている。
相対的であること、つまり他者との交わりながら生きていくこと。
ここがコミュニケーションの出発点になります。
なぜコミュニケーションに依存してしまうのか。
他者からの認識を前提として存在する我々は、認識の濃淡にまでその欲望を向けることになります。
“.社会的な生物”としてより強い承認欲求を抱くわけです。
ここに私が記したいコミュニケーションがようやく姿を現します。
ちっす。
◆「しゃべり」とは?
ようやくコミュニケーションの入り口に立った本コラム。
いよいよコミュニケーションにおける「しゃべり」のポジションについてお話します。
コミュニケーションの要素を大きく分類すると、
・音
・表情
・文
このあたりでしょうか。
この要素を駆使して
・しゃべり
・電話
・メール
・文章
などなど、様々なコミュニケーションを為していくわけです。
とりわけ「しゃべり」はコミュニケーションツールの中でも最も難しいツールだと思っています。
なぜか。
”処理すべき情報が多いから”
だと思います。
先に挙げた「音」「表情」「文」に加え、「文脈」「立場」なども組みながら、それを瞬時に組み合わせてコミュニケーションをする…
というのは、改めて意識すると、なかなか難しいことをしているとは思いませんか。
コミュニケーションが得意な人ほど、この情報量がプラスに働くというのも憎たらしいのですが、ここもポイントですね。
コミュニケーション格差ですよ。
苦手な人は、苦手だということを認識していますが、
得意な人は、得意だということを認識していないことが多いですからね。
苦手な人は情報処理が追いつかず、どんどん流れに取り残される。
情報の濁流に、です。
この情報量をいかに処理するかが、コミュニケーション能力向上に繋がると考えております。
◆今回はここまで
さて、私が思う「しゃべり」について、まずは前提となる思想をご紹介いたしました。
どうでしょう、私がコミュニケーションが苦手な人物であることは伝わったのではないでしょうか!泣
こんな面倒くさいことを考えているから上手く喋れないんだよって。
そうなんですよね。
ただ伝えたかったニュアンスはまさにそれに尽きます。
喋れるようになりたい、オシャベラーとして、みんなに認めてもらいたい、ちょっとでも人気になりたい…そんな想いの強さから、日々対策を練ってきた私です。
好かれたいじゃない、誰だって。
コミュニケーションが上手な人、周りにたくさんいます。
それを真似ることによって、いくらか改善した部分もあります。
本コラムでは、偉大なるオシャベラーや、コミュニケーションが苦手な私が編み出した対策のご紹介を通じて、
みんなで仲良く楽しくおしゃべりができる世界を目指します。
人類総オシャベラー計画ですね。
ということで、今回はうるさく語りすぎた感が強いので、一度お開きにします。
次号以降はもう少しライトな話題で展開していく予定です!
ぜひ懲りずにお付き合いいただけますと幸いです!!
では、さようなら〜
だいご
1993.4.17
出身 埼玉
中学生の時、ストリートコートにてフリースタイルバスケと出会い、大学入学とともに本格的にシーンに踏み込む。
現在は普通のサラリーマン。
プレーヤーとしての活動は控えめに、バトルMC、オーディエンスを中心に活動中。
身体を動かさずフリースタイルバスケ業界へ貢献できることはないか、模索中。
